アジア最後の新興国と言われて久しいバングラデシュ。近年では中国に次ぐアパレル輸出国となったこの地は、いったいどんな国なのでしょうか。
本記事では、ユーグレナ社が生まれるきっかけとなった国バングラデシュについて、紹介します。

バングラデシュの子どもたちの栄養問題解決を目指す【ユーグレナGENKIプログラム】とは?
バングラデシュの最新情報が分かる【GENKIレポート】こちら

バングラデシュとはどんな国?まずは基本情報を解説

バングラデシュが載った世界地図

皆さんは、「バングラデシュ」と聞いてどんなイメージが浮かぶでしょうか。
インドとミャンマーに国境を接し、近年ではミャンマーから流入している「ロヒンギャ難民問題」を通してバングラデシュのことを耳にする機会も多いかもしれません。まずはバングラデシュとはどんな国なのか、概要を見てみましょう。

国土は日本の4割。しかし、人口は1.4倍!

リキシャ
リキシャ(人力車)

バングラデシュの国土は日本の40%ほどですが、人口は約1億6000万人と、なんと日本の1.4倍ほどです。首都のダッカは100万台のリキシャ(人力車)が行き交うと言われている、非常に混雑した都市です。

気候は熱帯モンスーン気候で大きく雨季(4月~9月)と乾期(10月~3月)にわかれます。乾期の間は、月に数回しか雨が降りません。一方で、雨季の間は頻繁に足元や膝が浸かるほどの洪水が起こります。

バングラデシュはアジア最貧国と呼ばれていましたが、近年では中国に次ぐアパレル輸出国として急速に経済成長を遂げており、さまざまなファッションアイテムがバングラデシュで作られています。

日本との関係においては、バングラデシュが1971年にパキスタンから独立した時、西側諸国の中でいち早く国家承認をしたのが日本です。 現在も日本とバングラデシュの関係は続いており、バングラデシュ政府の避難民受け入れの取り組みを、国連機関やNGOと連携しながら支援しています。
このように、日本とバングラデシュはこれまで友好的な関係を築いてきました。
日本貿易振興機構(JETRO)が2012年に、ダッカ市内の大学生に行った意識調査では、「重要な国」「好きな国」「訪れたい国」のいずれにも日本が入っており、大の親日国と言えるでしょう。

国教であるイスラム教の影響が強い人々の生活

ラールバーグ城
ラールバーグ城

バングラデシュの公用語はベンガル語で、通貨はバングラデシュタカ(BDT)が使われています。
主な宗教はイスラム教が約90%と最も多く、文化もイスラム教をベースとして発展してきました。ダッカにあるモスク、ラールバーグ城が最も有名な観光スポットになっています。

バングラデシュのムスリム(イスラム教徒)は1日に5回お祈りをし、金曜日にはモスクに行くのが日課です。女性はヒジャブという顔が出ているベールを纏います。男性は特に決まりはなく、Tシャツやジーンズの人が多いようです。

食文化においては、羊肉や牛肉は食べますが、イスラム教の教えに従って豚肉は食べません。お酒も飲まず、食事の際は基本的に右手を使って食べます。
また、イスラム歴の9月に1ヵ月にわたる断食期間(ラマダン)があります。ラマダンの期間に入ると、日の出ている夜明けから夜になるまでの間は、一切の飲食が禁じられ、水も飲まず、喫煙や性的な行い、喧嘩も禁止になります。
これは単に食を断つという意味だけでなく、貧しい人も豊かな人も、等しく欲望を遠ざけることで、恵まれない人たちを思いやるために行われると言われています。
断食は子供も含まれ、だいたい6~7歳から始めます。妊婦や病人は免除され、オリンピックなどの特別な催事には運動選手も免除の対象になることがあるようです。

上記で紹介したお祈りやラマダンは、イスラム教徒の5つの義務である「五行」の1つです。
五行とは、
1 ) 信仰の告白(神を信じることを声に出す)
2 ) 礼拝(1日5回お祈りをする)
3 ) 喜捨(富める者は貧しい者に与える)
4 ) 断食(イスラム暦9月=ラマダンの1ヶ月間日中の飲食を断つ)
5 ) 巡礼(一生に一度は聖地へ行く)
のことで、ムスリムは五行に沿って生活をしています。

イスラム教最大のお祭り「イード」

バングラデシュには、イスラム教で重要なお祭りとされる2つのイードがあります。
1つ目は、1ヵ月間にわたるラマダン(断食)の終わりを祝う3日間の「イード・アル=フィトル(Eid al-Fitr)」。家族や友人で交流したり、行楽地へ遊びに行ったり、盛大にお祝いします。

2つ目が、日本では犠牲祭と呼ばれる「イード・アル=アドハー(Eid al-Adha)」。メッカへの巡礼(ハッジ)の最終日に合わせ、巡礼に参加していない人々も各家庭で動物を贄として屠るのが一般的です。
犠牲祭の数週間前には、生きたままの羊や牛があちこちで売られ始め、街なかは活気で溢れます。各家庭で購入した羊や牛を、犠牲祭当日の朝に一斉に屠り、解体した肉を貧しい人々と分け合う(喜捨する)のが習わしです。

このお祭りの由来はイスラム教のコーランにある逸話です。アブラハムという羊飼いが、神アッラーの命じる通りに自分の息子を生贄としてささげようとしたところ、アッラーが息子の代わりに羊を差し出させた、というお話です。

イードは、日本のお盆やお正月のような期間で、イードの間は銀行や仕事などは休みとなります。このように、国民の多くがムスリムであるバングラデシュでは、イスラム教の教え、義務を中心に生活が営まれているのです。

お米の消費量は世界1位!しかし…?

バングラデシュのカレー

イードの期間は羊肉や牛肉が豊富になりますが、普段のバングラデシュの人々の食事は主にお米です。豆や魚のカレーを付け合わせて食べるのが毎日の習慣です。
実はバングラデシュは最もお米を多く摂取する国民と言われており、1人当たりのお米の消費量が世界第1位というデータもあります。日本人の約3倍に当たる量に相当します。

お米が豊富にあるということは、食糧事情は問題なさそうに思えますが、バングラデシュの栄養問題は、実は深刻です。
お米の消費量が多く、野菜や肉などから摂る栄養素が足りていないため栄養が偏る傾向にあります。ビタミンやアミノ酸など成長に必要な栄養を十分に摂取できない人の割合が高いことが、長らく問題になっています。
微量栄養素(ビタミン、ミネラルなど)の欠乏は「隠れた飢餓」とも呼ばれており、バングラデシュでは、5歳以下の子どもの3人に1人、約550万人が発育不全状態であり、0~5歳児の33.1%、6~10歳児の17.1~19.1%に貧血が見られ、公衆衛生上「深刻」なレベルとされています。
また、最低食事水準を満たす子供の割合はなんと約22%と非常に低く、特に農村部の子供たちにこの傾向が顕著です。

これらの背景のひとつには、水衛生設備の問題があります。
バングラデシュでは、2017年の時点で、安全な水にアクセスできているのは、全体の約87%と試算されています。以前と比べると大きく改善されていますが、未だにヒ素などが含まれる地下水を使って生活している人々がいます。不衛生な水を摂取することで、細菌や寄生虫などへの感染リスクが高まり、下痢などの症状でさらに貧血を起こすという懸念もあります。
また、調理する環境や新鮮な食材を確保する環境が整っていないため、生野菜やフルーツ、生ものの扱いなどが難しいのが現状です。バングラデシュでは、2017 年には83%が電力を使用することができています。しかし特にスラム街での慢性的な電気不足は、冷蔵設備の普及に歯止めをかけています。スーパーマーケット等の富裕層向けの市場を除き、野菜、魚、肉を売る店で冷蔵設備が導入されていないことが少なくありません。
バングラデシュの栄養不足は、個々人の経済的事情から、衛生的な水の整備や電力不足など国家的なインフラの未整備が課題となっています。

一方、元々「アジア最貧国」と呼ばれていたバングラデシュですが、近年では肥満率が上昇してきています。バングラデシュのBMI(ボディマス指数)が25以上の「太りすぎ」「肥満」の人の割合は、1990年は8.3%でしたが、2000年には11.6%に、2010年には16.4%と徐々に増え、2016年には20%と、5人に1人が「太りすぎ」または「肥満」という結果に。また、2018年にダッカの医科大学がスラム街の子どもたちを対象に調査したところ、約8人に1人が太り気味または小児肥満でした。
世界的にみると肥満率は低い方ではありますが、バングラデシュでは米を大量に食べるうえ、イギリス植民地時代の名残から砂糖がたくさん入ったチャイティーやお菓子も日常的にとる習慣があります。さらに食事の時間帯が遅いという習慣も重なり、肥満が増えています。

バングラデシュの学校には○○がない⁉

これらの課題を踏まえ、バングラデシュ政府は様々な取り組みを始めています。
そのひとつとして、2011年には初等・大衆教育省で、栄養教育を開始。すべての小学校で義務付けられており、学校菜園も取り入れられています。

実はバングラデシュの学校では、国としては給食制度がありません。そこで、2010年にNPO法人である日本・バングラデシュ文化交流会(JBCEA)がバングラデシュの初等大衆教育省に働きかけ、公立小学校で学校給食プログラムを開始しました。
給食の調理施設の設置、献立の作成、食材の調達ルートの確保、調理トレーニング、衛生管理、子供や保護者への栄養教育等など、持続可能な形で学校給食を定着させることを目指しています。

新型コロナウイルス感染症をきっかけに変わった衛生観念

バングラデシュのデリバリーの様子

このように、衛生面での課題が多いバングラデシュですが、新型コロナウイルス感染症予防のための手洗い・うがいが重視されるようになったことで、様々な変化がありました。
バングラデシュでも新型コロナウイルス感染症が広がり、現在までに何度もロックダウン(都市封鎖)が実施されています。 2021年4月に行ったロックダウンでは、ちょうどラマダンとイードが重なり、これまでの習慣を変えざるを得ない状況となりました。

まずは食事のとり方です。これまでは基本的に右手で直接食べ物を掴んで口に運んでいましたが、スプーンなどを使う人が現れました。主に富裕層ということですが、これまでにはない変化です。
また、イードの時期は街なかで解体された羊や牛がたくさんありましたが、衛生面を配慮し、オンラインで肉の販売が行われるようになったことも新しい変化といえるでしょう。
さらに、これまでは市場の屋台などが非常ににぎわっていましたが、イード祭中でも自宅で調理をする家庭が増えています。外食ができなくなったことでデリバリーサービスも急成長し、食材などのECビジネスも好調な動きを見せています。

アジア最後の新興国として注目されるバングラデシュ

都市開発が進むバングラデシュ

バングラデシュ政府は2026年に後発開発途上国(LDC)を卒業することを目指し、経済政策を進めてきました。 主に衣料品・縫製品の工業化を重視してきましたが、近年ではデジタル化・IT化も進んでおり、新たな主要産業となりつつあります。

目覚ましい経済成長が続く

バングラデシュは、新型コロナウイルス感染症の感染拡大前の2017~2018年、なんと8.15%もの経済成長を遂げていました。経済発展のめざましい中国が6.6%ですが、その水準を大きく上回るレベルです(ちなみに日本の成長率は0.6%)。

この成長率は過去最高で、さらなる発展が期待されていましたが、度重なるロックダウンによる影響で、経済は一時停滞。それでも2019~2020年では経済成長率5.24%と、他国に比べても高い水準を達成できています。
コロナ渦で主要産業である衣料品などの輸出産業が低迷した一方で、国内のデリバリーサービスの普及、ECビジネスの発展などによって経済成長を続けています。輸出だけでなく、人口1億6000万人の内需も経済を支える土台となっています。

主要産業は衣料品・縫製品産業

バングラデシュの主要産業は、何と言っても衣料品です。 様々なファッションアイテムがバングラデシュの工場で作られており、日本の多くのメーカーも工場を持っています。
コロナ渦による影響を受ける前は、バングラデシュは世界第2位のアパレル輸出国でした。しかし、新型コロナウイルス感染症の影響により、2020年におけるバングラデシュのアパレル輸出額は前年比15%減、世界シェアも6.3%と低迷。ベトナムに抜かれて第3位となりました。

それでも依然として国内に占める縫製産業の重要性は大きく、全輸出額に占める縫製品の割合は約70~80%と、バングラデシュを支える産業です。 関連事業に携わる人は400万人で、そのうちの8割が女性です。これまで農業が主要産業だった経済状況が一変し、外に出て働く女性が増えたことで、女性の社会進出のきっかけにもなったのです。
バングラデシュではまだ離婚した女性や寡婦に対する差別が根強くある中で、縫製産業は女性に開かれた職となりました。

アパレル史上最悪の事故、「ラナ・プラザの悲劇」

バングラデシュでアパレル事業が国の主要産業となった背景には、人件費の安さに加え、バングラデシュの国民性である忍耐力や手先の器用さがあります。
しかし2013年4月、国を揺るがす大事故が発生したのです。
ダッカ近郊の縫製工場の入ったビルが崩壊し、死者1,000名以上、負傷者2,500名人以上を出す大惨事となりました。ビルの名称「ラナ・プラザ」から、この大事故は「ラナ・プラザの悲劇」と呼ばれています。

この事故の背景には、縫製産業の労働環境の深刻な劣悪さがあります。
まず、多くの縫製工場が騒音、悪臭、高温といった環境が当たり前で、これが健康被害の原因になっています。また、工場内には糸くずや布の切れ端が散乱し、床は水浸しのままなど、どの施設も整備が十分ではありません。さらに建築基準も遵守されていない建物も多く、それまでも頻繁に工場火災、工場倒壊が起きていました。
そういった事故が頻発しても、火災や倒壊に対する対策が不十分なまま稼働を続けた結果、「ラナ・プラザの悲劇」が起きてしまったのです。

この事故をきっかけに、発注元である先進国の企業の責任、そしてバングラデシュ政府への責任が問われることとなり、ヨーロッパ系企業による「バングラデシュにおける火災予防及び建設物の安全に関する協定」(通称アコード)と、アメリカ系企業を中心とした「バングラデシュ労働者の安全のための同盟」(通称アライアンス)が締結されました。
バングラデシュ政府においては、労働法を改正し、最低賃金の引き上げを決定。これまでの月額3,000タカ(約4,000円)から、月額5,300タカ(約7,100円)になりました。

しかし、これらによって縫製工場の労働環境が一新されたわけではありません。アコードやアライアンスによる企業の責任が5年間の期限付きということもあり、2018年には終了しています。劇的な改善が期待できないのが現状です。

二度の独立を経て誕生したバングラデシュの歴史

バングラデシュの国旗

このように、バングラデシュはアパレル輸出大国で躍進的な経済成長を遂げていながら、貧困問題の解決には至っておらず、今なお貧困層の数は世界第5位という状況にあります。これには、イギリス植民地やインド、西パキスタンからの独立という内政の事情が深く関わっているのです。

イギリス植民地、インド、西パキスタンからの独立

現在のインド、パキスタン、バングラデシュは、かつてはイギリス領のインドとして1つの国でした。 1947年のイギリス撤退をきっかけに、宗教の違いによる理由でインドからパキスタンが分離。インドはヒンドゥー教を主体にしていたのに対し、パキスタンと現在のバングラデシュはイスラム教が圧倒的に多かったためです。
その後パキスタンはインドを挟んで西パキスタンと東パキスタンに分かれていましたが、東パキスタンは、西とは言語が異なることに加え、経済的、政治的圧迫を受けていたことから対立し、東パキスタンを占めるベンガル人がパキスタンからの独立を宣言。バングラデシュ独立戦争が勃発しました。

インドの支援もあり、1971年に東パキスタンはバングラデシュとして独立。「ベンガル人の国」という意味の、バングラデシュ人民共和国が誕生したのです。

日本と国旗が似ている理由とは?

そんな背景があるバングラデシュですが、国旗が日本に似ていると感じた方も多いのではないでしょうか?

バングラデシュの国旗が日本の日の丸と似ている点は偶然ではありません。「建国の父」と呼ばれたムジブル・ラーマン初代大統領が、「日本に魅せられ、日の丸のデザインを取り入れた」と彼の娘である現ハシナ首相が述べています。赤は太陽、緑は豊かな大地を表現していて、独立のために戦った若者たちの意気と犠牲を表現しています。同時に、赤は独立戦争で亡くなった人たちの血の色を表現し、緑はバングラデシュでも主要な宗教であるイスラム教のシンボルカラーですが、イスラム教の象徴ではないことを示すため、それより濃い緑色が使われています。

首都ダッカの開発は進むが、依然スラム街は多い

バングラデシュの街中

このように、複雑な歴史的背景をもつバングラデシュですが、独立後も安泰ではなく、政治的に不安定な時期が続きます。さらに地形的な問題から、洪水などの自然災害が頻繁に起こり、経済が停滞する状況が長く続きました。工業化を進めようとするにもなかなか進まず、結果的にバングラデシュ経済を支えてきたのは農業でした。

そんな中、1979年に韓国の企業がバングラデシュに縫製工場を作ったことをきっかけに、産業が拡大。海外企業がどんどん参入し、工業化が進みます。 縫製工場が多く立つ首都ダッカの開発は産業発展に伴って飛躍的に進んできましたが、都市部には依然としてスラム街が多いのです。
最低賃金が引き上げられたとはいえ、バングラデシュがアパレルの輸出大国になったのは、低賃金の労働力が主な要因です。

識字率のグラフ

首都に暮らすスラム住民の7割が農村出身であり、貧しい農村から都市部へ来ても、低賃金の工場労働で貧困から抜け出すのは困難です。バングラデシュ政府も都市スラムの環境改善のためのプログラムを他国の協力を得て実施してはいるものの、なかなか進まないのが実情です。

バングラデシュから広がるソーシャルビジネス

このように、バングラデシュはまだ貧困から脱出するにはたくさんの課題があります。これらの課題を解決するため、各国の企業が様々な形で協力をしようと動き出しています。
このような経済的利益ではなく社会課題解決を追求するビジネスをソーシャルビジネスと呼び、日本でも広がりつつあります。

バングラデシュにおけるグラミンユーグレナの取り組み

ユーグレナ社では、ソーシャルビジネスを行う合弁会社「グラミンユーグレナ」を設立しました。
グラミンユーグレナは、2006年にバングラデシュ人初のノーベル平和賞に輝いたグラミン銀行設立者であるムハマド・ユヌス博士が率いるグラミン農業財団と「Sustainability First(サステナビリティ・ファースト)」を理念に持つユーグレナ社が日本の食料事情改善とバングラデシュで貧困に苦しむ農村地区の所得向上や生活改善を目指して設立されました。

グラミンユーグレナが、現在ソーシャルビジネスの第一歩として取り組むのが「緑豆プロジェクト」です。
緑豆とは、日本ではもやしの原料として広く食されていて、現在その全てを輸入に頼っており、中国とミャンマーの2ヵ国からの輸入で98%を占めています。また、バングラデシュでも栄養価の高い食材として食されており、現地の主食であるダルスープの材料に欠かせない食材です。
緑豆プロジェクトでは、両国において重宝されている緑豆を栽培して収穫量を増やし、増やした分を適正価格で買い取り日本に輸出し、もう半分を現地のマーケットで販売するプロジェクトです。

グラミンユーグレナのビジネスモデル

この事業のバングラデシュのメリットとしては、
・農村地区における貧困層の雇用創出
・現地にて高品質で安価な緑豆の販売
・日本の農業技術およびハイテクシステムの導入
などが挙げられます。これによって、バングラデシュの農村地区に住む人々の生活水準の向上に貢献します。

また、日本のメリットとしては、
・安定的な供給源の確保
・緑豆の価格上昇リスクの回避
・「日本の安全システム」を活用した安心安全な緑豆の供給
などがあります。バングラデシュでのソーシャルビジネスを通じて、日本でも持続可能なビジネスへの意識が高まることも期待されます。

毎年約1万人の農民を指導していて、総耕作面積は5,000ヘクタール(東京ドーム約1,063個分)にまで及びました。また、これまでの累計10年間で1,830tを日本へ輸出しており、スーパーで売られているモヤシビニールパックの9,000万袋分に相当します。
この取り組みはバングラデシュと日本の人々の暮らしに貢献する新しい形のビジネスとして、今後もその収穫規模を拡大していく予定です。

まとめ

バングラデシュの子ども

バングラデシュという国は、一見私たちの普段の生活にはあまりなじみがない国かもしれません。しかし、日本は普段着ている衣服をはじめ多くの恩恵をこの国から受けており、決して無関係ではありません。

バングラデシュを始め、まずは貧困問題や国際問題を知ること、そしてボランティアや寄付活動だけでなく、ソーシャルビジネスとして企業が関わっていくことで、サステナビリティの実現に一歩近づくのではないでしょうか。

文/福光春菜