「人生100年時代」といわれて久しい現代。人生の長さと健康寿命の差をなるべく小さくしたいと考える人は多いのではないでしょうか。
今回は、健康寿命の中でも「脳の健康」に着目し、精神科専門医でありながら、認知症専門医でもある今野裕之先生に、「サステナブルな健康寿命延伸」についてうかがいました。認知症予防や脳の健康のために、若いうちから取り組むべき重要な生活習慣とは。
「認知症になりにくい生活様式」のエビデンスは確立されてきている
今野先生が認知症を専門にされるようになった経緯を教えてください。
私はもともと精神科医として、大学病院や精神科専門病院などで精神疾患の治療に携わっていました。近年では、医学の進歩により統合失調症やうつ病などの病気も治療によって症状をコントロールすることが昔と比べると容易になり、一度病気を発症しても普通の日常生活を送れるようになるまで改善できるようになってきました。
一方、認知症に関しては、診断後になかなか効果的な治療法を提示できず、医師として苦しさ、もどかしさを感じていました。そうした経緯から、やはり認知症は予防が重要だと考えるようになり、研究を始めました。現在は自身のクリニックを中心にもの忘れや認知症の予防医療を実践し、SNSやメディアなどを通じて専門的見地からの発信を続けています。
最新の認知症治療の現場ではどのような取り組みが進められているのでしょうか。
認知症といってもさまざまな原因があります。患者数が最も多いアルツハイマー型認知症でいえば、病理学的な特徴として「アミロイドβ」や「タウタンパク質」という物質が脳内に溜まることが挙げられており、それらを分解・除去する薬などが開発されているのですが、未だ成功したものはなく、根本的な治療方法はまだ確立されていません。
ただ、「どんな生活をしていると認知症になりにくいのか」ということについては日々エビデンスが積み上がり、ほぼ確立されています。具体的には、運動を定期的にしており、ストレスがなく、きちんと睡眠を取れていて肥満・高血圧・糖尿病などの生活習慣病がないといったことになります。当たり前のことですが、心身ともに健康で、規則的な生活を送ることができているかということが大変重要です。実際、生活習慣や血液検査などのデータをもとに、患者さんへ健康的な生活に近づくための指導を行うことにより薬を使わずに症状が改善する人もいます。
「食後に眠くなる」のは体からの危険信号の可能性あり
認知症予防において今野先生が大切だと考えていることを教えてください。
生活習慣を整えること、中でも、特に重要なのは食事だと考えています。人は、1日3回の食事内容によって体内の反応が変わります。たとえば糖質ばかりを摂っていると血糖値が安定しないので、認知症ではない方でも、頭がぼんやりするなど、認知症と同様の症状が現れることがあります。1日の食事内容を見直し、タンパク質や脂質、糖質、ビタミン、ミネラル、食物繊維などの栄養素の摂取バランスを改善することが大切です。
魚や発酵食品を摂取する機会が多い食事は、認知症予防に効果的であるというエビデンスがあります。代表的な例として和食があげられますが、他にも、イタリアやギリシャ地方での伝統的な地中海食も良いバランスだと思います。
発酵食品が認知症予防に効果的である理由は何でしょうか。
腸内細菌の種類や量が脳の働きに影響するからです。これは「腸脳相関」と呼ばれており、近年研究が進んでいます。腸内細菌には「幸せホルモン」で有名なセロトニンという神経伝達物質を作ったり、ビタミンBを合成したり、悪玉菌の勢力を弱めて腸内の炎症を緩和したりするものがあります。実際に認知症患者は、健常者と比べて腸内細菌の種類が違うようだということが報告されています。
健康的な食生活は、若いうちから習慣にした方がいいというのは、頭では分かっているのですが、朝食を抜くなど何かと不規則になってしまったり、ついつい炭水化物ばかり食べてしまったりと、行動に移すのはなかなか難しいとも感じます。どんなことから始めるべきでしょうか?
認知症は加齢性の疾患であり、基本的には年を取らないと発症しない病気です。糖質をたくさん摂っていると加齢性の変化が進みやすく、逆に糖質を控えることで抑制できることがさまざまな実験や研究で明らかになっています。
ですから、まずは血糖値が上がりやすい甘いものや加工食品、ラーメン、丼ものなどの食べ過ぎを控えましょう。
「糖質オフ」を意識して極端な制限に走り、糖質を摂ること自体をやめてしまう人もいるかもしれません。20代や30代の場合、糖質を控えるべきなのはどんな自覚症状がある人なのでしょうか。
誤解していただきたくないのですが、糖質を摂ること自体が悪いのではありません。糖質を過度に摂ることによって急激な血糖値上昇が起こり、その結果インスリン感受性が低下し、インスリンの分泌される量・タイミングが乱れることに問題があります。
インスリンの分泌が乱れている人は、食事の後に具合が悪くなる傾向があります。 頭がぼんやりしたり、頭痛がしたり、冷や汗が出たり。また、食後に眠くなるのはそのサインかもしれません。過度に糖質を摂ることで血糖値が急上昇し、それを抑えるためにインスリンが過度に分泌され、結果として血糖値を下げ過ぎてしまっている可能性があります。こうした症状がある方は、一度糖質の摂り方を見直してみましょう。
運動不足やコミュニケーション不足……「巣ごもり生活」にも要注意
認知症においては、特に気をつけなければならない年齢層はどのあたりなのでしょうか。
「45歳以上」とお伝えしています。認知症の発症は65歳以上から増えてきますが、病気の進行が20〜25年前から始まるため、40代になったら注意すべきでしょう。ただ、それより若い20〜30代の方でも、認知症のリスク要因の一つである、「睡眠時間」や「睡眠の質」には注意してください。スマートフォンが手放せない時代となりましたが、寝る前に明るい画面を見ていると睡眠に悪影響があることが分かっています。これだけではありませんが、 そうした普段のちょっとした習慣も将来の認知症のリスクになる可能性があります。
新型コロナウイルス感染症の影響で巣ごもり生活になりがちですが、この状況は認知症にどのような影響があるのでしょうか。
広島大学において、全国の介護施設などにアンケートを取って新型コロナウイルス感染症と認知症の関連を調べた研究結果が発表されています。
それによると、全国の認知症患者の4割程度に認知機能悪化が見られるなどの影響が出ています。おそらく原因の一つは運動不足でしょう。運動をすることによって脳が活性化しますが、「巣ごもり生活」で歩く機会が減ってしまったことで運動による刺激が少なくなってしまったのだと考えられます。
運動不足が認知機能低下にダイレクトにつながっているのですね。
はい。室内でもできるラジオ体操や足踏み運動でもいいのでぜひ取り組んでください。
また、脳にとっては人とのコミュニケーションが重要です。これもコロナ禍による影響で人と話をする機会が減っていますよね。認知症予防のためにも、電話やオンライン会議ツールを使って、誰かと会話する時間を意識的に作り出すことが大切です。
認知機能が低下していないか、家庭で簡単にチェックする方法はありますか。
東京都福祉保健局が「自分でできる認知症の気づきチェックリスト」をインターネット上で無料公開しています。10の質問項目に答えるだけでチェックできるので、興味のある方はぜひお試しください。
認知症を過度に恐れず、心配だと思ったらすぐに相談を
両親など、身近な人で認知症が疑われる場合には、どのように接していいのか悩む人もいるかもしれません。
認知症が始まると今まで当たり前にできていたことができなくなったり、人の名前を思い出せなくなったりします。本人もどうしていいのか分からず、大きな不安を抱えているものです。もの忘れが多いからといって頭ごなしに叱ったり、失敗を責めたりするとどんどん萎縮してしまいます。近くにいる方はそうした不安を、まずは共感してあげてください。
その上で、なるべく早く医療機関で受診してください。症状が進まないような対策を始めるためにも、できるだけ早期の正確な診断が大切です。
医療機関へ行くことをためらう人もいるかもしれません。家族の立場では、どのような言葉をかけて受診を勧めていくのが良いと思われますか。
認知症は根本的な治療方法は確立されていないものの、対応がまったくできないわけではありません。認知症と診断された場合でも適切に治療すれば症状の進行を遅らせ、これまでの日常生活を長く続けることができる可能性があります。また、場合によっては認知症ではない、治療できる疾患で似たような症状が出ている可能性もあります。まずはかかりつけ医や地域包括支援センターなどの専門機関で相談してみてください。
いずれにしても早ければ早いほど対策がしやすいので、認知症を過度に恐れず、心配だと思ったらすぐに相談してほしいですね。
脳の健康を維持するためには、「毎日三食バランスの良い食事」、「定期的な運動」、「質のいい睡眠」、「人とのコミュニケーション」など、特別なことではない日々の行動の中に答えがあるのかもしれません。
「当たり前」を「当たり前」に行動することが、サステナブルな未来、明日へとつながるのではないでしょうか。
文 / 多田慎介