元体操選手でアテネオリンピック金メダリストの水鳥寿思(みずとり ひさし)さん。史上最年少の32歳で日本体操協会の男子体操代表監督・強化本部長に抜擢され、オリンピックと世界選手権あわせ54個のメダル獲得へ導かれました。2024年のパリ五輪では男子体操日本代表を金メダルへと導き、この大会を最後に12年間務めた代表監督を引退されました。
現在は、2025年度の日本体操協会統括本部長として就任予定で、男子体操のみならず、女子体操、新体操、トランポリンの強化を統括される予定です。また一方で、スポーツ事業等を手がける株式会社MIZUTORIも経営も手がけるなど、幅広く活躍されています。
ユーグレナ社とのつながりも深く、ユーグレナ社のスポーツ用飲料ブランド「SPURT(スパート)」の製品を、指導されているアスリートにも推奨いただいています。
今回は水鳥さんに、指導者としての道を選んだ経緯、現在の活動、アスリートのコンディション管理、ジュニア世代の育成、さらにキャリアと今後の展望についてお話を伺いました。
体操一家に生まれ、全国大会未入賞の過去からオリンピックへの出場。そして日本体操協会強化本部長への転身
―選手を引退した後、水鳥さんがセカンドキャリアとして指導者を選んだ経緯を教えてください。
水鳥寿思さん(以下、水鳥):選手を引退した後は、大学教員としての道に進みました。その大学には体操の競技部がなく、私自身も当時は体操クラブを持っていなかったため、体操にあまり関わらない日々を過ごしていました。そんな中、日本体操協会強化本部長の候補者として推薦の話をいただく機会がありました。
私の両親はともに元体操選手で、まさに体操一家の中で育ったのですが、体操をやっている兄弟4人の中で私だけが全国大会で入賞できませんでした。自分には体操の才能はなかったと思っています。父親からの指導もほとんどしてもらっていないんです。父親から見て体操選手としての素質がなかったり、本気に体操に向き合っているように見えなかったんでしょうね(笑)。
オリンピックでも大活躍した内村航平選手のように、ただ純粋に好きで体操をやっているというよりも、「勝ちたい」「認められたい」「オリンピックに行きたい」という気持が強かったんです。いわゆる天才肌ではありませんでしたが、どうすれば目標を実現できるのかということ考え、練習計画に落として込んでいくことが得意でした。
強化本部長に興味を持ったのは、自分自身が選手時代に決して才能があるタイプではなかったものの、様々なシミュレーションや戦略を練ることで結果を出してきた経験があったからです。また、当時の代表選考方法について「もっとこうした方がいいのではないか」と思うこともあり、それを強化計画に活かせるのではないか、指導者として貢献できるのではないかと考えたからです。指導者の経験はなかったのですが、選考に参加して強化本部長になったという経緯です。
ジュニアからシニアまで。スポーツの価値を社会全体に感じてもらう
―これまで取り組まれてきた日本体操協会強化本部長としての活動と、株式会社MIZUTORIの事業内容についてご紹介をお願いします。
水鳥:選手引退後のこれまで約12年間担ってきた日本体操協会強化本部長では、主に男子体操の強化に取り組んでいました。具体的には、体操男子日本代表監督として代表選手の選考や各種大会への帯同はもちろんですが、ジュニアからシニアまでの年代を統括し、全体的な強化計画の立案も担当していました。オリンピックではリオデジャネイロ、東京、そして前回のパリまで、3大会にわたり体操男子日本代表監督を務め、多くの経験をさせていただきました。
株式会社MIZUTORIでは、「スポーツの価値を具現化する」をテーマに、体操、新体操、チアリーディングの教室運営を中心に事業を展開しています。私たちは、スポーツの価値を社会全体に感じてもらうことが重要だと考えていて、体操で培った能力や価値を、他種目やその後のキャリアに活かし、社会還元できるように指導しています。
現在、定期会員は7拠点で約1,400人が在籍しており、それぞれの目的に応じて競技に取り組んでいます。成人の方も約60人程度が取り組んでおり、ジュニアからシニアまで幅広い世代に、スポーツの魅力や価値を伝える活動を行っています。
ジュニア世代の強化に向けた取り組みと栄養管理の重要性。土台の強化が将来の競技強化につながる
―水鳥さんはトップ層と同時に、ジュニア世代の強化にも注力されています。指導者として取り組まれているジュニア世代の育成や強化のポイントについて教えてください。
水鳥:日本体操協会では、これまではどちらかというとトップ層の強化に焦点が当てられていました。今後は、トップ層の強化はもちろんですが、ジュニア世代の育成にもより力を入れ、競技の土台を強化していきたいと考えています。ジュニア期は、柔軟性を高めることや技術的な部分を固めるうえで非常に重要な時期です。ジュニア期を過ぎていくと骨格が固まってきて、あとからでは獲得できないことも増えてきますし、また一度ついた癖を後から矯正は難しい。土台づくりのジュニア期に、良い指導や適切な練習方法に触れる機会をどれだけ作れるかが重要だと考えています。
また、栄養面でのサポートもジュニア世代の育成において重要な要素です。バランスの良い栄養を摂取することが、将来の競技力の向上につながります。そこで、栄養士の方を招いて栄養学に関する講習会を開催しています。選手の栄養管理に関しては、選手本人だけでなく、家族やクラブの指導者の協力が不可欠です。これらの関係者と連携しながら、選手たちを包括的にサポートする体制を整えています。
―現在「SPURT(スパート)」をジュニア世代の育成にご活用いただいていますが、きっかけを教えてください。
水鳥:国立スポーツ科学センターの栄養サポートの研究者の方から栄養成分の観点で勧められたことがきっかけです。特に中学生年代の選手を中心に摂取を勧めています。また、ユーグレナ社さんには、「SPURT(スパート)」を取り入れた栄養摂取のポイントに関して、管理栄養士の方を通じたセミナーも実施いただいていており、ジュニア世代の育成や強化にご協力いただいています。
―「SPURT(スパート)」は、「ラストスパート」の「スパート」からきており「本当に大事なときにパフォーマンスを発揮できる体作りをサポートする」という思いが込められています。水鳥さんは代表監督として素晴らしい実績をお持ちですが、個人が大事な日に最大のパフォーマンスを発揮するためには、どのようなことが大切だと思われますか。
水鳥:当たり前ですが、やはり準備が大切だと思います。私も選手時代、「練習だから失敗しても大丈夫」と考えるのではなく、常に試合本番のような緊張感を持ちながら練習に取り組んでいました。前回のパリオリンピックでは、指導者として選手たちに大歓声の音をBGMとして流し、本番環境を想定した練習を行いました。もちろん、特別な準備をしなくても本番で力を発揮できる選手もいます。しかし多くの場合、ラストスパートや本番でパフォーマンスを最大限に発揮するためには、本番を想定した準備が非常に重要です。最終的には本番で自分を信じる力が重要ですが、それもまた、どれだけ準備を積み重ねてきたかによって左右されると感じています。
体操を通じて社会で活躍できる人材を育成して、社会に貢献したい
―日本のスポーツ界全体に対して、今後どういった形で貢献していきたいと考えていますか。
水鳥:選手引退後のこれまで約12年間、日本体操協会強化本部長として男子の強化を中心に行ってきましたが、今後は日本体操協会統括本部長として男子だけにとどまらず、女子を含めた体操競技の強化を担っていくことになります。具体的には、各強化本部長とコミュニケーションを取りながら、男子・女子・ジュニア・シニアなど各セクションの強化計画に加え、日本体操協会として全体的な強化戦略プランの立案などを担っていくことになります。
現在、オリンピック委員会やスポーツ振興センターでの制度などを参考にしながら、各強化本部長が考える強化計画を実現するための戦略プランについて調査を始めています。また、体操クラブの運営にも注力し、国内外の大会で活躍できる人材を輩出していきたいと考えています。
―その他、指導者としてのキャリアで挑戦したいことや目指す目標はありますか。
水鳥:体操通じて競技そのものだけでなく、社会で活躍できる人材の育成にも力を入れていきたいと考えています。現在、スポーツ庁の助成事業の一環として、小中学校の体育授業で活用できるタブレット用のアプリケーションソフトの開発を行っています。このアプリでは、学習指導要領のデジタル化や体操の技が学べるコンテンツに加え、技ができるようになるという目標達成のための課題解決に取り組むプロセスを学べるコンテンツを提供しています。
体操の技を習得するためには、自己分析や課題の特定、計画と実施、そして再評価するという、一般的に社会で行われているようなPDCAサイクルを適切に回していくことが重要です。技ができたから嬉しいというのも魅力のひとつではありますが、このアプリを活用することで、そのプロセスを体験することにより、生徒たちが目標達成の手順を学ぶことができると考えています。
学校からも「何が成功の要因かを具体的に振り返ることができる」と評価をいただいており、一定の成果が出始めてきたのかなと思っています。
このように、体操を通じてスポーツの価値を広めるだけでなく、プラスアルファの魅力を社会に伝えていける取り組みを今後も推進していきたいと考えています。
また、体操だけでなくスポーツそのものの価値に新しい魅力を加える取り組みにも力を入れていきたいと思っています。例えば、海外だと体操クラブにスポーツバーが併設されていることがありますが、そうした体操を気軽に楽しめるような場を日本でも提供してみたいと考えています。エンターテインメントの要素を加えることで体操に対する関心を広げ、社会との接点を増やしていくことも重要だと考えています。今後もスポーツの価値を広めていくとともに、社会に貢献していきたいと考えています。
水鳥さんのインタビューを通じて、体操に対する思いと、選手としての経験を生かした指導者としての思いが伝わってきました。体操競技全体を支える姿勢は、次世代の育成と競技力向上に欠かせないものです。また、株式会社MIZUTORIの事業を通じて、スポーツの価値を社会全体に広める活動にも積極的に取り組んでおり、その取り組みがいかに重要であるかを改めて感じました。
体操が競技としてだけでなく、社会で活躍できる人材を育む一助となっていることを、私たちも心から応援したいと思います。今後も水鳥さんの活動がより多くの人々に影響を与え、スポーツを通じて社会に新たな価値がもたらされることを期待しています。
<プロフィール>
水鳥 寿思(みずとり ひさし)
両親ともに元体操選手でクラブを経営。6人いる兄弟も、そのほとんどが体操選手というまさに体操一家で育つ。華々しい成績の兄弟に対し、結果が出ない苦悩の中、高校進学をきっかけに実力をつけ始める。3度にわたる大怪我で選手生命を危ぶまれたが、克服して日本代表に選出。金メダルを獲得したアテネオリンピック団体決勝でつり輪に出場したほか、世界選手権でも数々のメダルに輝いた。ロンドンオリンピック最終予選を最後に引退。史上最年少の32歳で日本体操協会の男子体操代表監督・強化本部長に抜擢され、2015年世界選手権では37年ぶりの団体優勝。
リオデジャネイロオリンピックでは自身が選手として獲得したアテネ大会以来12年ぶりの団体金メダルへと導いた。さらに東京 2020オリンピックでも団体銀メダル、パリ2024オリンピックでも団体金メダルへと導き、代表監督としてオリンピック、世界選手権あわせ54個のメダルに導き退任。今後は強化統括責任者(ハイパフォーマンスディレクター)として、男子体操チームだけではなく、女子体操、新体操、トランポリンの強化を統括する。