前回のインタビューでは、平成における生命科学の進化について、ヒトゲノム解読という観点から解説しました。
では、新時代である「令和」はゲノム活用にとってどのような時代になるでしょうか?
今回も、株式会社ジーンクエスト社長/株式会社ユーグレナ執行役員として遺伝子解析サービスをけん引する生命科学者の高橋祥子が解説します。
「令和」はみんなが自分のゲノム情報を当然のように持つ時代に
―令和時代は遺伝子情報の活用にとってどのような時代になりそうですか?
高橋:まず令和の時代には、個人みんなが自分のゲノム情報を血液型のように当然知っている時代になります。そして、ゲノム情報の活用が進むと、個人の生活も社会も生命科学研究も急速に発展していく時代になると思います。
―自分のゲノム情報を各自が知っていると何が変わってきますか?
高橋:まず、個人の生活にとっていいことは、病気になってからわかるのではなく病気になる前に遺伝的なリスクを知って予防についての対策をとることができます。例えば、私でいうと腎臓結石の遺伝的なリスクの傾向があることが分かっています。なので、シュウ酸含量が多い食品を食べるのを控えることで予防に繋げられるようにしています。
今後、ゲノム情報と疾患に関する研究などはもっと進むと考えられていて、遺伝的な疾患リスクを管理して予防につなげることができるようにどんどんなっていきます。
また、予防医療の分野だけではなく、研究が進むと栄養、食品、運動、睡眠、ストレス、美容など様々な領域にその知見を応用することができるようになります。
―遺伝的な特徴を知ることで生活を変えられるということですね。
高橋:そういうことですね。疾患というのは遺伝的要因と環境要因の掛け合わせで起こるので、遺伝的要因を把握することで生活環境を効果的に改善していき、環境要因によるリスクを下げること、予防していくことができます。 実際、これまで寿命が延びてきたのは、最初は栄養状態の改善、次が医療の発展によって寿命が延びてきて、次は(特に健康寿命の延ばすのは)「予防」だと言われていますね。
社会のために、どうゲノム情報を活用する?
―社会と生命科学研究でもゲノム情報を活用するとはどういうことですか?
高橋:はい、次に社会にとって良いことでいうと、全員に対して予防の施策をとってもあまり効果が見られず、集団の中でもリスクが高い人に限定して予防的介入を行うことで、全体の医療費が削減できるという研究があります。
ですので日本においても、リスクが高い人の疾患予防や、個人の特性に合わせた最適な医療を選択することで社会全体として健康寿命が延び、医療費が抑制できる可能性があります。日本の医療費は年間40兆円を超えており、ゲノム情報を活かした予防により改善させていくことができるかもしれません。
また、生命科学研究については、多くのヒトゲノム情報があると上述のような研究が飛躍的に進みます。現在、世界中のゲノム研究の多くは欧米系の集団を対象に行われていますが、令和の時代には日本においても随分研究が進むと考えています。
令和にはまず、2025年問題(団塊の世代が75歳以上の後期高齢者に突入する)に伴う健康の課題が起こります。それを解決していくためにもゲノム研究の推進は必須だということですね。
―さらなる高齢化が見込まれるなか、少しずつ改善していくことが未来の日本、のみならず世界と地球のために重要ですね。
遺伝子的には「人類全員がレア」?
高橋:他にも、一人ひとりが特別な存在として尊重されるという価値観が広がっていくといいなと思います。
ゲノム情報の解析が進むことで、ヒトはそれぞれ遺伝子的な違いがあり、個人が特別な存在であるということがより明らかになりました。誰一人、この人は平均であるという遺伝子を持つ人はいないんですね。そのような「人類全員がレア」という価値観が当たり前と考えられるようになるのではないでしょうか。
―多様性な価値観を活かしたより良い社会になればいいですね。
高橋:社会や個人の生活を改善していくためにも重要なのは、ゲノム情報や生命科学の分野の研究が活性化することです。ヒトの全ゲノムの解読が完了したと話しましたが、各遺伝子情報が生体的な特徴や疾患にどのように関連しているのかというのはまだまだ不明な点が多いのが現実です。さまざまなゲノム情報をデータ化し、研究を活性化させることで社会や個人の生活の課題を解決することができると考えています。
―ゲノム情報の研究の活性化が、キーファクターになるのですね。
高橋:私は「人類の進歩」とは、人類の知識が増えていくこととそれを使って課題解決力が向上することだと定義しています。ゲノム情報を蓄積していくことで、結果的に課題解決力を高め人類の進化に寄与していくことができると考えています。
テクノロジーの回避すべきリスクと解決すべきリスクの違いとは?
―ゲノム情報の活用が進むことで気を付ける点はありますか?
高橋:ゲノム情報に限らないのですが、新しい技術の活用を検討する場合は正確にリスクを認識することが重要です。リスクを考えるときに陥りがちなのが、新しい技術の方向性は間違っていないのにリスクを過大評価して、方向性自体が間違っていると考えてしまうことです。
―具体的にはどういうことでしょうか?
高橋:新しい技術活用の方向性が間違っていない場合、研究を進め環境を整備し、リスクを低減することが重要なのですが、リスクを過大評価して方向性が間違っていると誤認してしまうとそこでストップしてしまいます。
なぜこんなことが起きるかというと、生物は、多くの場合は慣れ親しんだ環境で生活する方が居心地がよいと感じるといわれていることと関係しています。つまり、変化するというのはどこか怖いという無意識があるのだと思います。そういう感覚は重要なのですが、その感覚が強すぎるあまり、新しい技術に対してリスクを過大評価してはいけない、と考えています。
例えば自動運転技術の分野でいうと、今後自動運転技術が普及していくこと自体は、方向性として必至の流れだと思います。ただ、リスクだと思われているのは、「まだ」精度が完璧ではないからリスクがあるだけで、方向性自体がリスクなわけではありません。時間とともに解決されていくリスクとそうじゃないリスクの差は冷静に考える必要があります。
―ゲノム情報の活用でいうとどのようなリスクがありますか?
高橋:ゲノム情報でいうと、ゲノム情報の利活用が進んでいくのは間違いない方向性だと思います。ただ、ゲノム情報は固有で重要な情報ですから個人情報管理や差別の問題、精度の問題など解決されるべきリスクが存在しています。
一方で、昨年問題になりました中国でのゲノム編集ベイビーなどの生命倫理の問題は別で、方向性自体にリスクがある場合です。
―ゲノム編集ベイビーの問題はとても話題になりましたね。
高橋:ゲノム編集ベイビーの問題は、先ほどお話したポイントの技術活用の方向性自体の是非を議論するという段階です。この問題に関しては以前お話しましたのでここでは詳しく触れませんが、次世代の子に遺伝する生殖細胞系のゲノムの編集を行ったことが大きな問題となりました。次世代に大きな影響を及ぼす技術活用に関してはより慎重である必要があり、ゲノム編集ベイビーの問題に関しては技術活用の方向性自体が批判されていたといえます。
―新しい技術の活用にはリスクがあり、それは方向性が違うのか、それとも時間とともに解決されるリスクを過大評価しているのか、ということも冷静に考えなければならないということですね。
高橋:はい。技術活用の方向性が正しいのであれば、ただ単に「リスクは解決していくもの」となります。技術革新や法整備などによってリスクを減らしていくことができます。
ゲノム情報の活用に当てはまると、すでにお話したように、ゲノム情報の活用は個人の生活、社会などを改善する可能性のある技術です。その大きな方向性は間違っていないので、重要なのはさまざまなリスクを冷静に評価し課題を一つずつ解決していくことです。
―何が正しい方向で、何が正しくないのか。難しい問題ですね。
高橋:想像力をもって、冷静にオープンな議論を進めていくことが重要ですね。
ゲノム情報の活用により明るい未来を実現する
―課題もあることが理解できました。
高橋:そうですね。課題はあるかもしれませんが、課題を解決し、令和の時代は明るい未来になると信じています。
―明るい未来!いいですね。
高橋:日本は65歳以上の人口が、全人口に対して21%を超える超高齢社会に突入していますが、日本でゲノム情報を活用した改善を進めることで、今後高齢化が進む他国の見本となれるのではないかと考えています。高齢化についてはマイナス面が強調されますが、マイナス面をプラスに帰ることができれば、非常に大きなチャンスになると思います。
―ピンチはチャンスということですね。
高橋:社会の進歩の先鞭となって、さまざまな課題に取り組むことができるチャンスと捉えてさまざまなことに取り組んでいきたいと思います。
―ゲノム情報を活用することで令和の時代が明るい時代となればいいですね。ありがとうございました。
株式会社ユーグレナ 執行役員バイオインフォマテクス事業担当
/株式会社ジーンクエスト 代表取締役
高橋 祥子(たかはし しょうこ)
京都大学農学部卒業。2013年6月、東京大学大学院農学生命科学研究科博士課程在籍中に株式会社ジーンクエストを起業。2015年3月に博士課程修了、博士号を取得。個人向けに疾患リスクや体質などに関する遺伝子情報を伝えるゲノム解析サービスを行う。2018年4月株式会社ユーグレナ 執行役員バイオインフォマテクス事業担当 就任。
受賞歴に経済産業省「第二回日本ベンチャー大賞」経済産業大臣賞(女性起業家賞)受賞、第10回「日本バイオベンチャー大賞」日本ベンチャー学会賞受賞、世界経済フォーラム「ヤング・グローバル・リーダーズ2018」に選出など。
著書に「ゲノム解析は「私」の世界をどう変えるのか?-生命科学のテクノロジーによって生まれうる未来-」。
遺伝子解析プラットフォーム「ユーグレナ・マイヘルス」